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「琴線」

「琴線に触れる」等と使われる「琴線」という語。
『日本国語大辞典』(第二版。以下『日国』と略称)はこれについて、国木田独歩「独歩吟」序(宮崎八百吉編『抒情詩』)に先立つ用例を挙げない。これだけ見るとかなり新しい語のようだ。本当にそれ以前に用例の見出だせない語なのだろうか、と気になったので少し調べてみた。

『日国』の解説は以下の通り。

(1)琴やバイオリンなど、弦楽器の糸。
*吾輩は猫である〔1905〜06〕〈夏目漱石〉一一「例のワ゛イオリンが、ほのかに秋の灯を反射して〈略〉つよく張った琴線の一部丈がきらきらと白く眼に映ります」

(2)(物事に感動する心情を琴の糸にたとえていう)人間の心の奥深くにある感じやすい心情。感動し共鳴する心情。
*抒情詩〔1897〕独歩吟〈国木田独歩〉序「当時火の如かりし自由の理想を詠出し、永く民心の琴線に触れしめたる者あらず」
*若い人〔1933〜37〕〈石坂洋次郎〉上・四「これが我々の心のカメラに深刻な映像を印し、悲痛な琴線の調べを湧き立たせるのである」


『日国』は、基本的には確認できるかぎりの初出例を挙げている。つまり、「独歩吟」より遡る例は見出し難いということ。
はたしてそうだろうか。探してみよう。

まず、漢語かなと思ったが、『佩文韻府』は立項せず。「四庫全書」でも数例しか見えず、このうち句を隔てる「~琴、線~」の一例を除けば『革象新書』という元代の天文学書に見えるのみ。かなり特殊な語のようだ。

では独歩の例はどんな用法かと見れば、どうも今の使い方からするとちょっと違和感がある。

「自由の義起り、憲法制定となり、議会開設となり、其間志士苦難の状況は却て詩歌其者の如くなりしと雖も而も一遍の詩現はれて当時火の如かりし自由の理想を詠出し、永く民心の琴線に触れしめたる者あらず

直前には、

「開国以来海外の新思想は潮の如く侵入し来り、吾国文明の性質著しく変化を被りしと雖も、遂に一詩歌現はれて此際の情想を詠じ以て、吾人の記憶に存せしめたる者なし」

とある。
さっきの「永く民心の琴線に~」と、この「吾人の記憶に~」とは対になると思われる。

いま使われる「琴線に触れる」は、一回的な、感動のその瞬間を指すように思うが、どうだろうか。独歩の「琴線」はなんだかずいぶん継続性がある。

なお、独歩の例は以下のリンクで確認できる。左頁6行目、「永く民心の琴線に触れ」。
国文学研究資料館 近代書誌・近代画像データベース

一方、喩えではないほうの「琴線」の用例として、『日本国語大辞典』は漱石の『吾輩は猫である』を挙げるのみ。ちなみに琴ではなくバイオリンの弦を「琴線」といっている。

「灯影にすかして見ると例のヴァイオリンが、ほのかに秋の灯を反射して、くり込んだ胴の丸みに冷たい光を帯びています。つよく張った琴線の一部だけがきらきらと白く眼に映ります」※1

漱石のこれは、「独歩吟」より数年下る例である。比喩の用例が、事物そのものを指す用例に先立つのだろうか。
しかしまあ、「琴線」なら語として熟していない段階でも字面で意味はわかるし、それなら比喩として機能するだろう。
とはいえ、より古い用例が無いか、探してみる。

見つけた中で比較的古そうなのは野島幾太郎『加波山事件』(明治33年)に「紫電一閃、琴線一触」とある例、続いて藤岡作太郎『国文学全史 平安朝篇』(明治38年)に「人情の琴線に触れ」という用法が、数例ある。ざっと探した感じ、「独歩吟」(『抒情詩』、明治30年)より遡る例はたしかに無さそうに思えた、が……。

寛延年間に刊行された『和歌の糸』という地歌歌本がある。
『和歌の糸』 (東京大学総合図書館 電子版霞亭文庫)
これを見ると、外題(おそらく原題簽(※2))は単に「和歌の糸」だが、内題は各巻「琴線和歌の糸」になっていた。いま見つけた中ではこれが一番古い「琴線」の例。書名ではあるが、日国の挙げる「独歩吟」より遡ること150年。独歩が既存の語として用いていたかどうかは不明だが、確かに「独歩吟」序に先立つ例は見出だすことができた。

いや、「独歩吟」というより、『吾輩は猫である』のそれより古い例、といったほうが適切だろう。比喩ではなく事物そのものとしての用例(『日国』でいうところの(1)の用法)という意味では。比喩的な用法に先立ってこれが確認できることは、少なくとも、語誌の観点において重要な事実。




※1手元の新潮文庫で確認したため、引用文は現代仮名遣い。
※2「おそらく原題簽」、というのはたぶん刷り題簽だから。写真だから断言はしないが、まあそうとしか見えない。
  1. 2015-06-13 Sat 23:34|
  2. 文学

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