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読んだ小説等の感想

最近の読書メモ。
感想サボっている本が他にもあるけど、それはまたいつか、時間のある時に。

反町茂雄『一古書肆の思い出3』
安倍良俊『isolated city 設定スケッチ』
フレドリック・ブラウン『発狂した宇宙』
フレドリック・ブラウン『未来世界から来た男』
井沢元彦『猿丸幻視行』
小川洋子『ミーナの行進』
ダシール・ハメット『マルタの鷹』
萬屋直人『旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。』
伊藤計劃・円城塔『屍者の帝国』
石坂洋次郎『寒い朝』

……の10冊。

反町茂雄『一古書肆の思い出3』(平凡社ライブラリー)
終戦直後三年間の著者の活動記録。戦後の混乱で多くの名家の文庫や大蒐書家の蔵書が流出する。一章一節ごとにあっと驚くような資料の取引が記され、最後まで大興奮のうちに読み終えた。古典籍が好きな人にはたまらない話が満載。一方でこうした大文庫の崩壊・流出には心が痛む。もちろん仕方ないことではあるし、そのおかげで世に出た資料が多いことも確か。海外流出を招いた著者を批判する向きもあるが、貴重な古典籍を適切に評価し、その価値を認める人のもとへ届けて救ったことは評価されるべき事実。紙屑同然に扱われるよりよっぽどいい。



安倍良俊『isolated city 設定スケッチ』(私家版)
安倍吉俊さんの未公開作品「isolated city」。本書はその設定メモのようなもの。前半にキャラクターデザイン(モノクロ)を、後半に第一話「尻尾の実験」の脚本を収載。「世界で唯一、あらゆる電子的ネットワークから隔絶している街」という舞台設定が面白い。ネットにつながっていないことの特殊性は、舞台をその街の中に設定しながらどう表現できるのだろう。外の視点をもたらして中の状況を相対化してくれそうな人物は登場している。今後の展開が気になるところ。ただし現状、出たのは本書ともう一冊の設定メモ(脚本)のみ。


フレドリック・ブラウン『発狂した宇宙』(ハヤカワSF文庫)
多元宇宙論的SF。とある事故で平行世界に飛ばされた主人公の奮闘を描く。後半には若干のスペースオペラ要素も。発表は1949年で、可能世界の現実性についてのデヴィッド・ルイスの議論以前。この時代にこれだけのものを書いたことに驚嘆せずにはいられないが、今の目で同趣の作品と比較しても、傑作の一つに数えて良いと思う。読後の余韻として残ったのは、この結末がハッピーエンドかどうかという問い。この世界・あの世界・その世界において、また主人公にとって、どうか。作品は判断を読者に委ねている節がある。他の人の感想を聞きたい。



フレドリック・ブラウン『未来世界から来た男』(創元推理文庫)
創元SF文庫(当時は創元推理文庫のSF部門)の記念すべき第一作。内容はSFばかりではなく(第一部「SFの巻」、第二部「悪夢の巻」)、ちょうどレイ・ブラッドベリ『ウは宇宙船のウ』のような性格の短編集。どの作品も簡潔でありながら奇抜なアイディアが盛り込まれており、思わず感嘆すること数度。先だって読んだ『発狂した宇宙』にしてもそうだが、フレドリック・ブラウンという人は、個々のストーリーを案出する力はもちろんのこと、それらを最も効果的なプロットとして構成する力に並外れた才をもっていたようだ。



井沢元彦『猿丸幻視行』(講談社文庫)
SF要素もある歴史暗号ミステリ。とてもおもしろい。梅原猛『水底の歌』やそれに対する反論なども取り込みながら、フィクションとして魅力的な結論を出している。なお、作中の折口信夫が上代特殊仮名遣に触れない点は、明治四十二年という時代設定に鑑みて矛盾しない(宣長や龍麿の指摘が橋本進吉によって「再発見」され、発表されたのは大正六年)。



小川洋子『ミーナの行進』(中公文庫)
愛おしいものたちと、その喪失、喪われてなお残るそのものたちの形ない痕跡が、しずかな筆致で描かれた作品。本作のミーナは『博士の愛した数式』の博士や『猫を抱いて象と泳ぐ』のリトル・アリョーヒンのような物語の軸となる人物だが、喪失対象ではない。本作で喪われるのはミーナを中心とした芦屋の日々であり、その喪失がもたらすのは、悲しみではなく愛くしみ。「時間が流れ、距離が遠ざかるほどに、芦屋でミーナと共に過ごした日々の思い出は色濃くなり、密度を増し、胸の奥に深く根ざしていった」(p.342)。再会に対する消極性は思い出の尊重と軌を一にする。



ダシール・ハメット『マルタの鷹』(創元推理文庫)
ハードボイルド。ブリジットとの最後の会話で二度繰り返される「おれはきみのために、ばかになりたくないよ」(p.335, 338)という言葉が、スペイドのスタンスをよく表している。終わり方もまたいい。こういう主人公の、直接表出されないまでも僅かに感じられる仄かなさびしさが堪らなく好き。「スペイドは机の上を見つめながら、ほとんどわからないくらいかすかにうなずいた」(p.341)。巧い。



萬屋直人『旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。』(電撃文庫)
セカイ系と言われることもあるが、秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』に代表されるそれらとはやや異なる。本作における少年・少女の関係は「セカイ」の行方を左右する方向へは向かわない。喪失症という危機を抱えた「セカイ」にあって、現に存在する自己を確かめ合い、消えるまでの限られた未来を共有する関係に留まっている。内なる関係性が外へ影響を及ぼすのではなく、外の影響から内なる関係性が生じ、再び外へ還元されることはない。主人公が名前をもった特別な誰かではなく、最後まで単なる「少年」「少女」であり続ける点、そうしたあり方を端的に示すだろう。
「天国や地獄が本当に存在するとは思っていなかった。が、それでも消えた人間が、本当にただ消えてしまうとは思いたくなかった」(p.192)は、死に対する人間の根源的恐怖をよく言い表している。多くの文化圏で、死後の世界が想定され、その喪失を「別れ」と呼んでここではないどこかへ行ったかのように表現されることは、それに対する一つの慰みなのだろう。形見によって偲ぶ行為も、現在の不在を確認することで、かつて存在していたことを確かめる方法である。
しかし、本作の喪失症は、故人のあらゆる痕跡を奪い去る。形見も消え、偲ぶ方法も失われ、不在を確かめることすら困難にする。そのことは、かつて存在していたという記憶すら曖昧にさせる。そこに、三章幕間で述べられる少年らの抗いの方法がどれほど有効か。遺されたそれが遺されたものであることさえ、わからなくなってしまう危機に対して、その方法が慰みとなり得るのは何故なのか。説明できないが、不思議と共感はできる。



伊藤計劃・円城塔『屍者の帝国』(河出文庫)
そこにあるテクストが孕む意味と解釈が導出するそれとの関係、テクストから辿られる〈作者〉と現に存在した作者との関係など、文学なるものの本質的なあり様に対する示唆に富む。そうした問題を含む点は伊藤計劃っぽいが、話の展開自体には円城塔らしさが出ている。ちなみに最近公開された映画はかなり大胆な改変がされている。あれはあれでおもしろかったが。



石坂洋次郎『寒い朝』(角川文庫)
父子家庭の重夫と母子家庭のとみ子、高校三年の二人の交流が、親たちの交流へと繋がって行く。きっと、若い時に読めば子どもたちの関係に、歳を重ねてから読めば親たちの関係に、思うところがあるのではないか。高校生のうちに一度読んでおきたかったと少し後悔した。
  1. 2015-11-17 Tue 23:25|
  2. 読書メモ

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