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国木田独歩『牛肉と馬鈴薯 他三篇』(岩波文庫) 読書メモ

長くなったので一冊分で投稿。

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①「牛肉と馬鈴薯」
牛肉と馬鈴薯の意味する所はp.9の会話(「しかしビフテキに馬鈴薯はつきものだよ」「そうですとも!理想はすなわち実際のつきものなんだ!馬鈴薯もまるきり無いと困る、しかし馬鈴薯ばかりじゃア全く閉口する!」)に明らか。すなわち理想主義か実際主義かという議論。その中で岡本は「不思議な願いを持っているからそのためにどちらともえ決めないでいます」(p.17)という。その願いは後半に語られるが、実際それは理想か現実かという問題を超越している。願いが遂げられた結果としてどちらかになることはであっても、先ず主義を奉じては願いが遂げられないだろう。「習慣の上に立つ遊戯的研究の上に前提を置きたくない」(p.31)のはそのため。最後に語られる夢の話(p.32)は、願いが遂げられそうな具体例としてただ一つ挙げられるもの。いわゆる「死の人称」(V.ジャンケレヴィッチ)にかかわる問題だが、そのあり方は先立って挙げられた「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(『論語』里仁篇)とは順序が逆になる。人として生まれ、生きている以上、この願いが遂げられることは無いのではないか。最後の一文に、その諦念は窺える。

②「正直者」
真面目系クズの罪の告白。本人が大して罪を感じていないところがまた憎らしい。冒頭に「私は決して正直な者ではないのです」(p.36)と述べておきながら、告白の後に「正直者の仕事の一つがこれです」(p.53)と結ぶその矛盾は、自身に対する皮肉なのか。そうはいっても、この「正直者」に共感してしまう読者は多いのではないか。かくいう僕も思い当たる節がある。ところで冒頭の「人から重く思われる」(p.36)という言い方、現代の言語感覚からすると一見ネガティブな評価(「重圧」等)に感じられたが、ここではポジティブな評価なのだと後で気づいた。「世におもく思はれ、人にゆるされたり」(『宇津保物語』国譲下)のような「重視」「重要」の意。人物評価における「重い」の謂がネガティブになるのはいつからだろう。

③「女難」
尺八吹きの身の上話。聴くに耐えない「哀音悲調」(p.91)にこめられた「恋の曲、懐旧の情、流転の哀しみ」(同)、これはわかる。しかし「永久の恨み」(同)は、何に対するそれか。本作は部分的に「正直者」のような話を含むけれど、全体としては女性に振り回される側に立つ(と本人が思う)ことが主。あの卜占とそれに従う母の戒めとがなかったら、こうはならなかったのではないかと思う。その意味で女難の原因は、天性(「正直者」)ではなく、「母としてはただ女難を戒めるほかに立身の方法はなかった」(p.70)という、その環境だろう。母や売卜者を恨むのではない。その言葉を受け入れ、母亡き後も自戒しながら女性に対するしかなかった自身の境遇こそ、「恨み」の対象に他なるまい。

④「富岡先生」
展開から言えば、本作は富岡先生の娘・梅子の結婚話。しかし、主題をなすのは梅子と男たちとの関係ではなく、男たちに対する富岡先生の思いの変化。その点、巻末解説の読み(p.126、片岡懋)に全面的に同意したい。
  1. 2016-02-29 Mon 01:18|
  2. 読書メモ

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