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学問か芸術か――文学とどう向き合うか

わたしはね、文字板だったの、
 針が
  逃げる今日を
   噛むのよ、
    逃げる今日で
     もういなくなったものたちをつくるの
      そーっとね、
       すると もういなくなったものたちから
        わたしのいのちが生まれます。


(安東次男訳、ミヌー・ドルーエ「アレーズの森」部分抜粋。)


かつて、僕は詩人のはしくれでした。
こんなことを口に出して言うのは自分でもこっ恥ずかしいですが、事実そうだったのです。
しかし、今は違います。

以前の僕にとって、文学は情熱でした。
今、僕が向きあう文学に情熱はありません。
冷静に、客観的に、少し距離を置いて見つめるのが文学です。

研究の名のもとに思考が殺菌消毒されて、自分の中の詩人性が消えていきます。
整理された思考こそ最上のものであるなどと、どうして言い切ることができましょうか。

結局は自分が何を望むのかによって変わるのでしょう。
両者が共存することは困難です。

では、どうするか。
これが最近の悩みどころです。







冒頭の詩はフランスのミヌー・ドルーエの『木、わたしのお友だち(Arbre, mon ami)』という詩集に収められている「アレーズの森」という詩から部分的に抜粋したものです。
この詩集はミヌーがわずか8歳の時の詩集です。当時は「天才少女詩人現る!」と大層騒がれたそうです。
日本ではダヴィッド社から安東次男氏の訳で刊行されました。

ファッションショーでのミヌー少女。
  1. 2010-07-08 Thu 00:48|
  2. 文学

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