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「東京都青少年健全育成条例改正案」をめぐる動きについて思うこと

都の青少年保護育成条例がいろいろと物議を醸しています。
自分は漫画家でもアニメーターでもありませんが、どちらも大好きです。
それ以上に、文学を愛好する者として、こうした動きを見て他人のフリはできません。
あまり大きなことは言えませんが、自分が今思うことを書いてみました。
今の漫画やアニメが守られてほしいとは思いますが、賛成派・反対派双方にとって一番よい道が見つかることを願うのみです。

※以下の文章はツイッターでつぶやいた文章に加筆訂正したものです。

アメリカではティーン向けの学園ラブコメ映画をシェイクスピアなどの古典作品の翻案として作る、ということがちらほら見られる。
そのようにティーン映画が古典の翻案をするのは、「低俗なポップカルチャー」という批判に対する言い訳になるから、とか、古典を自分たちの色に改変することがハイカルチャーに対する反抗になるから、という意味もあってのことだそうだ。

でも、日本ではそういう動きがあまり見られない。全く不思議。
アニメ業界や漫画業界は、凝り固まった偏見によって酷い事をさんざん言われている。
それなのに、作品そのものでそれに対抗する、という動きはあまり見られない。

今の東京都の青少年保護育成条例改正案に対する抵抗にしても、もう少し作品そのもので訴えるという動きが出てきてもいいのに、と思う。
漫画やアニメってこんなに素晴らしいんですよって伝えるような作品を作って、反対派の人たちにそれを見せる、認めさせちゃう、そういうタイプの抵抗運動は、もっと現れないものだろうか。
もちろん、もうそんな悠長なこと言っていられる状況じゃないのはわかる。
でも、なめられすぎだ、今。

今の漫画やアニメのなめられっぷりを見ていると、第二芸術論の話が思い出される。
状況はちょっと違うけど、それこそ第二どころか第百くらい(芸術ですらない)に卑下している人も結構いるんじゃないか。
そんな人に表現の自由を突きつけたって意味がないと思う。
表現と認めているかどうかすら怪しいのだから。

「漫画は日本が誇る文化だ!」とか「表現の自由を守れ!」とか言うのも大事だが、それと同時にそれが本当に「文化」であり、守られるべき「表現」であることを、聞く耳をもたない反対者に理解させなければいけない。
それが伝わらないうちは、どんなに熱くて感動的な訴えもツルツルと上滑りしてしまって、相手の心には響かない。非常にもったいない。

今はもう時間がない、というのはわかっている。
でも、今を乗り切ったところでそこの理解がされないうちは何度でもこういう危機は訪れる。
「自由」や「文化」という大きすぎる剣を振り回すだけでは、頑なな人の心は溶かせない。
自分の訴えをする前に、なぜ相手がわかってくれないのか、そこをもっと考えたほうがいい。
そのほうが、その熱い訴えも意味を持つはず。
時間がないからと言って感情論にならず、冷静に先を見据えて、漫画やアニメのもつ文化的価値を一つ一つ理解させていく、まわりくどいようだけど、そういうことが大事なんだと思う。


最後に。
小説じゃないから、詩じゃないから、短歌じゃないから……
そんなことで傍観できる問題では決してないですよ。
  1. 2010-12-08 Wed 05:29|
  2. 雑記

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