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偽善と虚栄

思考メモ。




募金したことをブログやTwitterで表明した個人が、「『私エライでしょ』アピールうざい。偽善の証拠。」と批判を受ける場面を何度か見かけた。

偽善が虚栄的だという指摘はそれ自体間違っていないが、偽善を批判するのもまた虚栄的な行為だということを忘れてはいけないと思う。
そして、これを指摘する僕もまた、こうして他人の眼に触れる場に書き残した時点で虚栄的だと言える。

しかしそう考えると、或る者に対して「おまえの行為は虚栄的だ」と指摘することは、批判としては大した意味をもたないのではないか。
他人の虚栄を批判する行為も、その多くは自らの虚栄によって動かされているのだから。


そもそも虚栄は、それ自体が悪であるというよりは、悪の条件にも成り得るもの、という位に考えたほうが正しいと思う。
悪でない虚栄に何の罪があろうか。
いわんや、善行をや。

もちろん、虚栄は偽善の一つの条件にすぎず、虚栄とは別の要素(迷惑行為や商業主義等)によって悪とされている偽善もある。
こうしたものは確かに批判されるべきであろう。

しかし、虚栄的であるという指摘によって偽善を非難するのはどうだろう。
虚栄それ自体を非難する者は、「虚栄によって滅亡しないために、人間はその日々の生活において、あらゆる小事について、虚栄的であることが必要である。」(三木清)という言葉に耳を傾けて、少し肩の力を抜くべきではないか。

虚栄的であるということは、社会的であることをも示している。
人間から虚栄心を取り除いたら、いったい「世の中」がどれほど機能できるというのか。

或いは僕自身が虚栄心の塊のような人間だから、こうした考え方しかできないのかもしれないが。
  1. 2011-03-18 Fri 21:43|
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