スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

  1. -------- -- --:--|
  2. スポンサー広告

映画『イリュージョニスト』(監督・シルヴァン・ショメ、原作・ジャック・タチ)

以前このブログでも触れた、アニメーション映画『イリュージョニスト』を観てきた。

以下その感想。
マジシャン視点で思ったことを書いています。

多少ネタバレも含むので、未見の方はご注意を。




◆あらすじ
ロックやテレビといった新しい娯楽が世界を席捲する1950年代。
時代遅れのマジックを演じる老手品師タチシェフは、場末のバーや古びた劇場でのドサ回りを続けていた。
ある時、そんな彼がスコットランドの離島を訪れる。島にある田舎のバーでの営業を済ませた彼は、そこで一人の貧しい少女に出会った。彼女の名前は、アリス
アリスは彼の手品を見て、何でも願いを叶えてくれる本物の魔法使いだと思い込み、島を離れるタチシェフの後に付いて来る。タチシェフもまた、生き別れた娘の姿をアリスに重ねて、彼女を受け入れた。
二人はエジンバラの町の片隅でともに暮らし始める。
彼を魔法使いだと信じるアリスは、自分の欲しい物を何でもタチシェフにねだった。
そんな無垢なお願いを無礙にできないタチシェフは、貧しいながらも彼女の欲しい物をこっそりと買い、魔法のように彼女の前に出してあげた。
しかし、貧しい彼にとって、そんな「魔法」はいつまでも続けられるものではない。
やがて、成長したアリスに恋人が出来たのを知ったタチシェフは、長年やってきたマジシャンを辞め、アリスの元を去った。
「魔法使いなんていない」という置き手紙を残して。




だいたいこんな話。
魔法と手品という対立はありがちではあるけど、やっぱり無視できない問題だと思う。一緒に観に行った相方は、タチシェフがマジシャンを辞めてしまったこと(道具を全て手放し、相棒のウサギも野に放した)に疑問を呈していた。「マジシャンという仕事まで辞める必要はあったのかなあ」、と。個人的には、彼がマジシャンを辞めたのも「魔法と手品」という対立の結果なんじゃないかな、と思う。
もちろん、セリフの少ない詩的な映画だから、人によっていろいろな解釈ができるだろう。

僕がこの映画を観終わってまっ先に頭に浮かんだのは、ポール・ギャリコの『ほんものの魔法使い』という作品。この作品も、「魔法と手品」という対立がテーマになっている。
『イリュージョニスト』におけるタチシェフとアリス、『ほんものの魔法使い』におけるアダムとジェイン。この二組を対比させて考えると面白そう、と感じた。一方は手品師が主人公で、もう一方は魔法使いが主人公。どちらの主人公も魔法と手品の対立に触れて、最終的にはどこか遠くへと去っていく。似ている部分もあるし、正反対の部分もある。

共通して存在するのは魔法と手品という対立。ただ、その対立をどちら側から見ているか、とか、なぜそれが問題になったのか、といった点に違いはある。

少なくとも自分がタチシェフの状況になったらどういう行動をとるか、という部分は、マジシャンなら誰でも考える(或いは考えたことがある)問題ではないだろうか。そしてまた、そういうこと(魔法と思われること)が起こりうるとすれば、普段からの姿勢も自然と決まってくるのではないかと思う。もちろん、最終的にどういう方向に決めるかは人それぞれ違うだろうし、それがその人の芸風や、マジシャンとしてのアイデンティティにつながるのだろうけど。つまり、「考えておくべき問題」ではあるけれど、必ずしも「こうするべきだ」とか「こうはしないべきだ」といった正否がつけられる問題ではない、と思う。


……と、こんなことを考えた。

もう少し映画自体についての感想を言うと、とにかく映像が綺麗という印象が強かった。
フィルムの一枚一枚を額に入れて飾りたいくらい。
なんてことを思いつつ、売店で売っているパンフレットを買ったら、ちょうど飾れるような形式で作られていたので嬉しくなった。
本みたいに綴じていなくて、紙芝居みたいな感じ。
あの綺麗な絵を部屋に飾りたい、という人はぜひ売店へ。


なお、この映画の脚本は、ジャック・タチ(本名ジャック・タチシェフ)が自分自身に近い話として作ったもののよう。(上記パンフレットにおけるショメ監督の話より。)
そう考えると、また少し見方が変わってくるかもしれない。



※追記
DVD(BD)化されました。

  1. 2011-04-18 Mon 15:05|
  2. 手品

<<新しいエントリ| トップ | 古いエントリ>>
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。