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或るアーティストの言葉に関連して

Twitterのタイムラインを見ていたら、ある言葉が目についた。
いろいろと思うことがあったので少し書いてみた。
チラシの裏にでも書いとけと言われそうな内容。
思考メモ。

その言葉を見て、強い反発を覚えた。
死後に評価されることで永遠の生を得ようとしているんじゃなくて、永遠たるものそのものを探している芸術家もいる。
結果として死後にも名が残った例はあるが、それを永遠の生を得ることを目的とした芸術活動と言ってしまうのは違うだろう。
自分以外の人間を一つの考えで一般化するような言い方に問題があるのではないか。

少なくとも、「評価」や「後生」なんて言葉が出てくるあたり、この人がl'art pour l'artの立場ではないだろうということはわかる。
芸術をイデア探しと位置づけている人にとっては、過去現在未来どの世界においても永遠不変であるような価値を探しているわけで、それの評価によって「来世」を生きようなんてことは考えず、一瞬垣間見られればそれで消えてしまってもいいとさえ考えている人もいる。

否定しつつも「評価」や「後生」なんて言葉を出して、最終的に「俺は違う」へとつなげる辺り、結局はこの人もそれに囚われているんじゃないだろうか。
本当に違うならそういう言い方にはならないはずだ。

ただ、僕自身こうした反発を覚えるのは、自分もまたそうした問題に囚われている部分があるからだろう。(芸術を手段とするということ。)
自分ではそれを忌み嫌っていても、全くそういう面がないかといったら嘘になる。
だから、そういう発言に対して敏感に反応してしまう。

そう考えると、彼にしても僕にしても、こうして否定することによって辛うじて自分の主義を保っているにすぎないのかもしれない。

僕はゴーチエの芸術論に感化された人間だから、理想としては一切の社会的文脈等を離れて、芸術は芸術それ自体を目的としてありたいと思っている。
どこかにある最後の言葉が紡ぎ出せたなら、その後はもうどうなったっていい。
と、思ってはいるけれど、実際はそう完全に思い切ることはできない。
後生や来世なんていう大袈裟なものではないにしろ、名聞利養は常に目の前をチラつく。
「虚栄は人間的自然における最も普遍的且つ最も固有な性質である」から、精神的に健康な人間である以上は仕方のないことなのだろう。

むしろ、芸術それ以外の目的を一切考えもせずにつくり続けられるような芸術家は、人間としては異常なのかもしれない。(これを書きつつ僕の頭にはヘンリー・ダーガーのことが浮かんでいる。)
つまり、真の芸術至上主義なんてものは、アウトサイダーアートのような在り方でしかありえないのではないか。
そんなふうに考えて少し絶望的な気持ちになってみたり。

仮にそれが正しいとするならば、「芸術は人間を救ってはくれない」という彼の言葉も、ある面では本質をついていると言えるのかも知れない。
  1. 2011-05-18 Wed 17:11|
  2. 思考メモ

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