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声と倫理

思考メモ。





全国短歌大会 震災の歌が多数 NHKニュース


捻くれた考えかもしれないが、震災の歌を詠まねばならないような雰囲気が漂ってしまうのはどうなのかな、と思う。「今それを詠まないでいつ詠むのだ」と言う人もいるだろうし、そもそも震災を詠うこと自体に嫌悪感を示す人もいるだろう。

自分の中では、毎度のことながら、ある種の狂言綺語観のようなものが渦巻いていて、ほとんど声を出せずにいる。外から聞こえてくる声に対して嫌悪を感じているということではない。倫理は言葉を縛るためにあるのではないとは思うけれども、実際にそうした縛りを生んでいるのは倫理を振りかざす側の人間ではなくて、倫理を振りかざされることを恐れている側の人間なのかもしれない。最低限そこまで理解した上でないと歌なんて詠う気も起きない。一方で、そこまで理解してしまうと何も言えなくなってしまうのも確か。この壁を乗り越えて声を発することのできる人は強いなあと思う。

無神経もまた強さかも知れないが、そうした空っぽの強さでなしに、中身のつまった強さを持った人間はほんとうに尊い。空っぽの強さは結局偶然の産物でしかなくて、誰かの何かを知ってしまうことですぐに壊れてしまう脆さを含んでいる。羨ましいとは思うけれど、かくありたいとは思えない。

声はいつ出るのだろう。声を出さないこともひとつの声なのかもしれないが、くだらない。くだらないが、仕方ない。震災にかこつけた陳腐な自己表現なんて、したくない。そう思うこともまた、陳腐な自己表現なのだと思うと、猶くだらない。どこかで割り切らないといけないのかもしれないが、割り切ることも卑怯に感じる。結局、震災を利用した思索に酔っているだけなのかもしれない。文学なんてそういうものなのかもしれない。文学ってずるい。
  1. 2012-01-22 Sun 16:17|
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