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川の立体交差・西川水路橋と「流濕毓秀」

「川の立体交差」として有名な西川水路橋(新潟市西区)に行って来ました。





二本の川が垂直に交わって流れているというちょっと不思議な光景です。意外なことに、いま橋の上を通っている川(西川)のほうが昔からあった川で、下を流れる川(新川)のほうが人工的に掘削された川なのだとか。

この水路橋、現在のものは三代目だそうで、以前は「新川暗閘」というアーチ型の暗閘、それより前は「底樋」があったそうです。詳しいことは現在開館中の「新川まるごと博物館」(期間:2012/7/14~10/13、時間:9:00~17:00、場所:水路橋のすぐそば。無料。)で知ることができますので、ここでは省きます。


以下、先代「新川暗閘」の側壁にはめ込まれていた銘板の言葉についての私見です。

この銘板は現在散逸しているそうですが、写真によって存在が知られています。当該写真は加藤功『越後・新川開削 ~川の上を流れる川がある~』越後新川まちおこしの会、平成21年(以下、『新川開削』と略称)という冊子に掲載されています。この冊子は「新川まるごと博物館」で配布しています。

銘板には「流濕毓秀」と書かれています。これについて『新川開削』では「ながれ うるおいて、はぐくみ ひいず」と訓み、「この流れによって、当地域が湿潤となり、生産が高まる」の意、としています。

しかし「流濕」は、『周易』に「水流濕、火就燥」とあるのをふまえたものでしょう。この表現は後にも多く引用され、仏典にも見えます。「水は湿(うるお)えるに流れ、火は燥(かわ)けるに就く」とは、地に水が流れればまず湿ったところを流れ、薪を火をつければまず乾いたところからつくという意味で、同じ性質のものが必然的に相応じる理を譬えています。

「新川暗閘」は明治42年着工、大正2年完成です。明治や大正の文化人が多く漢学に通じていたことはよく知られています。なんとなく作った言葉が偶然すでにあった語だった、とは考え難いでしょう。『周易』に出典が求められ、時代が下ってからも引用され続けた語であるならば、なおさら、そのことを踏まえた上で用いられていると考えられます。したがって新川暗閘銘板の「流濕」も、「流れ、湿う」のではなく、「湿うところに、流れる」の意でしょう。

水は湿うところに流れるという必然の姿、この表現を用いた銘板制作者はそこにどのような思いを込めたのでしょうか。

ふたつの流れが交差する奇異な光景は、人為による川の姿です。しかし、その不思議な川の流れが、かつてのような水害をしりぞけ、この地に豊穣をもたらしています。「流濕」を踏まえた銘板からは、たとえ奇妙に見えてもこの流れこそがこの地における必然であり、この川のあるべき姿なのだ、という力強い肯定が感じられます。そしてその理としてあるべき流れがこの地を秀でた土地として育むのだ、という願いとも祈りともつかぬ切なる思いが「流濕毓秀」という銘板に込められていたのではないでしょうか。

そう考えると、この立体交差もただ珍しいだけの景色ではなく、この土地の発展と密接に関わって人々の思いを背負ってきた風景なのだなあ、としみじみ胸を打たれます。
  1. 2012-08-10 Fri 00:42|
  2. 文学

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