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本の思い出など

気分転換にブクログの書評をいくつか書いたのでこちらにまとめておく。
いずれも長い付き合いの、大好きな本たち。

◆石川啄木『一握の砂・悲しき玩具』新潮文庫

中学の時、教科書に載っていた啄木の歌に惹かれた。もっと読んでみたいと思いこの本を買った。はじめて自分で買った文庫本だったと思う。

高校の時、制服の胸ポケットにはいつもこの本が入っていた。載っている歌はほとんど覚えてしまっていたけれど、持ち歩くだけで気分が落ち着くような気がした。本である以上に、お守りみたいなものだった。

後に、少年時代の寺山修司も文庫本啄木歌集を持ち歩いていたと知った。そうさせる魅力がこの本にはあるのだ、と感じた。

そんな、文庫本啄木歌集。触るだけで懐かしい本。





◆三木清『人生論ノート』新潮文庫

「孤独は山になく、街にある」

倫理の教科書で見かけたこの言葉に惹かれて、この本を買った。人間に関わるさまざまな事象、感情について優しく考察する。
なぜだか、「優しい」と言いたくなる本。こちらに語りかけもしないし、決してやわらかい表現を使っているわけでもないのに、その言葉からは不思議とあたたかみが感じられる。

悩んだ時や悲しい時、怒った時、どうすればいいかわからない時、この本を開く。答えはでなくとも、気持ちは楽になる。好きな本はたくさんあるけれど、座右の書というに最も相応しいのはこの本をおいて他にない。





◆ロジェ・マルタン・デュ・ガール、山内義雄訳『チボー家の人々』白水社

思えばフランス文学への傾倒はこの作品から始まった。高校のある時期にはこの本を読む時間を中心に生活のすべてが回っていた。ジャックはもはや登場人物ではなく、友達だった。高野文子『黄色い本』の彼女のように。

むかしは自分をジャックに重ねたものだけれど、今はむしろメネストレルだと感じる。ジャックの主観を通した姿と、現実の戦争を前にした存在の瑣末さ、そのアイロニカルな立ち位置に共感してしまう。若くないな、と思う。

作中に出てくる秘密めいた本にも惹かれた。ジイドの『地上の糧』。ジイドを読むようになったのも『チボー家』がきっかけだった。マラルメを読んだのも、『チボー家』を読んで他のフランス文学を読んでみたいと思ったから。これを読んでいなかったら今頃何していただろう。

とにかく受けた影響は計り知れない。高校の時に読んでおいてよかった。なんたってあの長さ。今読もうと思ったら、ちょっと体力がいる。





◆ステファヌ・マラルメ、加藤美雄訳『マラルメ詩集』昭森社

高校の図書館で、何気なく手にとったこの本が自分の文学観を決定づけることになるなんて、思い出すだけで不思議な気持ちになる。人それぞれ、こういう作品との出会いがあるんだろう。自分にとっては、これだった。

装訂に惹かれて何気なくとったこの本の、何気なく開いた頁にあった「蒼空(L' Azur)」にやられた。詩なんて教科書でしか読んだことがなかっただけに、この出会いは強烈だった。これが詩というものか、と驚愕した。フランス詩の世界に没入していく最初の一歩だった。マラルメからボードレールへ。ボードレールからゴーチエへ。詩から詩論へ。すべての始まりはこの本だった。図書館のあの場所にあの本があって本当に良かったと思う。

後に鈴木信太郎訳も読んだけれど、やはりこちらに惹かれてしまう。それだけ鮮烈だった。万人受けする本だとは思わない。でも、言葉というものはこんなふうにも使えるのだ、と知ることはできるはず。


※すでに絶版で中古価格も高騰しているようです。手元にあるものを見るかぎり、もともとの定価は1000円なのですが……。



◆俵万智『あなたと読む恋の歌百首』文春文庫

ほとんど短歌を読んだことがない人に、短歌の本でおすすめはありますか、と問われれば先ずこの本を挙げる。
もともと新聞連載だったこともあり、とてもわかりやすい。それでいて単なる解釈ではない、著者独特のコメントがおもしろい。
歌を通して人の心のさまざまな有り様を見ることができる。どんな恋をするにせよ、また恋のどの段階にあるにせよ、勇気づけ、癒し、懐かしむことの助けとなるような歌にあふれている。
ことあるごとに開きたくなる本とはまさにこのような本を言う。





◆『世界名詩集12 ゴーチェ ネルヴァール』平凡社

詩人としてのゴーチエは、驚くほど知られていない。
実際、邦訳出版されたまとまった詩集はこれだけである。これとて今は絶版。現行の書籍でゴーチエ詩に触れられるのは岩波文庫『フランス名詩選』等のアンソロジーのみという状況。憂慮すべきである。

そんな忘れられた詩人ゴーチエだが、かのボードレール『悪の華』の扉には

「完全無欠なる詩人 フランス文学における完璧な魔術師 わが敬愛し崇拝する 師にして友なるテオフィル・ゴーチエに 最も深い謙虚な気持ちをもって これらの病弱な花々を 私は捧げる」

とある。詩人達からの支持は絶大だった。
一般に浸透しない原因はその詩としての硬さにある。完璧な韻律で構成された職人的ともいうべき作品。とっつきにくい印象はたしかにあろう。

しかし、詩人としてのゴーチエの本領はその思想の体現にある。『モーパン嬢』序文で高らかに宣言した芸術至上主義(L' art pour l' art)の思想を最もよく表現し得ているのがこの本に収められた詩集『七宝とカメオ』の最後の詩、「芸術(L' Art)」。

この詩論詩にやられて、詩なるものそれ自体の有り様を考えるようになった。詩歌に関わるならば、決して無視することのできない作品だと思う。


※すでに絶版ですが中古価格がそれほど高騰していないあたり、人気の無さを感じます。なお、詩人としてのゴーチエについては以前のエントリでも書きました。
  1. 2013-03-14 Thu 02:13|
  2. 文学

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