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トルストイ『イワン・イリッチの死』 読書メモ

トルストイ、米川正夫訳『イワン・イリッチの死』岩波文庫、1928年。

死をめぐる人間心理(死ぬ者と、死ぬ者を見る者と)を露わに描き出した希代の名作。人間の死の認識を極めて残酷に、しかし極めて正確に言い当てている。ジャンケレヴィッチの『』およびキューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』と併せて読むことで、より立体的に、この作品に現れた死の認識を理解できるだろう。

◆◇◆以下、引用メモ◆◇◆

はじめは快活な少年として、学生として、のちに成人してからはカードの相手として、あれほど近しく知りあっていた人間が、そういう苦しみをなめたのかと思うと、自分自身や相手の女のそらぞらしい態度を、不愉快に意識しているにもかかわらず、とつぜんピョートル・イワーノヴィッチはぞっとした。彼はまた例の額と、上唇にのしかかっている鼻を見た。すると、彼はわが身の上が恐ろしくなってきた。
(中略)
これはイワン・イリッチの身に起こったことで、自分のことではない。自分の身にそんな事が降りかかるなんて、とうていあり得べからざる話だ、そんなことの起ころうはずはない、つまらぬことを考えていると、陰気な心持にとりつかれるばかりだ、そういうことは、シュワルツの顔を見てもわかるとおり、やめておいたほうがいいのだ――こういうふうな理屈をつけて、ピョートル・イワーノヴィッチは心を落ちつけた。そして、イワン・イリッチの最後の模様などを、興味ありげな様子で根ほり葉ほりききはじめた。それはまるで死というものが、イワン・イリッチのみに特有の変事であって、自分にはまるで関係がないというようなふうであった。
p.14

かつてキゼヴェーエルの論理学で習った三段論法の一例――カイウスは人間である、人間は死すべきものである、従ってカイウスは死すべきものである、という命題は、今まで常に正確このうえないものと思っていた。しかし、それはただカイウスのみに関することで、彼自身にはぜんぜん関係のないことであった。それはカイウスなる人間、つまり一般に人間の問題であるから、したがって、まったく肯綮に当っている。しかし、彼はカイウスでもなければ、一般に人間でもなく、どんなときでもまったく他のものと異なる特異の存在なのだ。彼はワーニャであった。ママとか、パパ、ミーチャ、ヴォロージャ、おもちゃ、馭者、乳母、それからカーチェンカ、その他、幼年少年青年時代のあらゆる歓喜、悲哀、感激、こういうものに充ちたワーニャなのである。
(中略)
カイウスは、実際、死ぬべきものである。したがって、彼が死ぬるのに不思議はない。しかし自分にとっては、無数の感情と思念をもったワーニャにとっては、イワン・イリッチにとっては――全然別問題である。自分が死ななければならぬというようなことは、しょせんあり得べきはずがない。それはあまりに恐ろしいことである。
pp.61-62

イワン・イリッチは妻のほうへ目を向けて、頭から足の爪先までじろじろ見回した。そして、彼女の色の白いことも、肉づきのふっくりしていることも、手や首の綺麗なことも、髪のつやつやしいことも、目が生気にみちて輝いていることも、すべて彼女の落度のように思われた。彼は心の底から彼女を憎んだ。
p.79

ひと思いにすべり込むじゃまをしているのは、自分の生活が立派なものだったという意識である。こうした生の肯定が彼を捕えて、先へ行かせまいとするために、それがなによりも彼を苦しめるのであった。
pp.99-100
  1. 2013-06-05 Wed 15:30|
  2. 読書メモ

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