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応神天皇の「尾籠」

こんなツイートが目に止まった。



おもしろい話だが、はじめて聞いた。このような話は記紀には無い。
気になってちょっと調べてみたので以下にまとめる。

出典は文安三年(1446年)成立の行誉『壒嚢鈔』に求められる。「尾籠事」(巻七、第二十一)がそれである。ただし「是れは本朝に云ひ始むる詞と申せり」との書き出しから判断して、正確には「をこ」ではなく、一見漢語のような「ビロウ」について述べたものだろう。

"或る説に応神天皇、海神の御末なる故に、龍尾御座して、是れを隠さん為に装束に裾と云ふ者を作り始めて、是れを引き彼の尾を隠さしめ給ひける也。然るを出御の時、内侍未だ裾の内に有るを知らず、障子に立て籠め奉りにけり。其の時「尾籠也」と仰せけるより始まれる詞也となん。"

海神の末裔である応神天皇には龍の尾があり、これを隠すため服に「裾」というものを作った。ある時、天皇がお出でになる際、この長い裾がまだ部屋の中にあることに気づかない女官が、そのまま障子を閉めてしまった。天皇自身は部屋を出ていたけれど、服の裾に隠された尾は障子を隔てて部屋の中。「尾が籠っているよ」と天皇は言った。これが「尾籠」の語源だという説がある……という話だ。

「裾」の由来譚としてもおもしろい説だが、そもそも応神天皇が海神の末裔というのはどういうことか。ことは火遠理命と豊玉姫との婚姻に遡る。豊玉姫は綿津見神(海神)の娘であり、出産時には龍の姿をしていたという(『紀』)。『壒嚢鈔』によれば、その時生まれた鵜葺草葺不合命から続く系譜は「海神の末」としてのそれであり、「応神天皇の御比まで龍尾ましましけるとや」とのこと。

前に述べたように『壒嚢鈔』が伝えるこの説は「尾籠(ビロウ)」についてのものである。ただし、「ビロウ」という語自体、「をこ」に「尾籠」の字を宛て、それを音読みして成ったと考えられている(貝原好古『諺草』 ※1)。逆に、「をこ」が「尾籠」を訓読することによって成った語とする説もあったが(経尊『名語記』)、それは考えがたい。「尾籠」の成立はおそらく平安時代末期のことだろう。それ以前の用例は見出されないのである。

ならば、応神天皇が「尾籠」と言ったという話も、それ以後に作られたものであることは明らかである。一方、「をこ」は上代にも見られる。ちょうどよく『記』には、応神天皇の歌とされるものに「わが心しぞ いやをこにして」という表現もある。ちなみに、この「をこ」は「袁許」と仮名表記されている。「許」は上代特殊仮名遣い「コ」乙類である。対して「尾籠」の「籠」は甲類の「コ」である。今後、より古い「尾籠(をこ)」の用例が見出されることが仮にあったとしても、甲乙「コ」の混同が起きる以前に遡り得ないことは、そこに理解できる。

なお、はじめに掲げたツイートも冗談であることは明らかだし、そもそも言うまでもないことなのですっ飛ばしていたが、最近見かける「おこ」や「まじおこ」は「怒(おこ)る」に由来する言葉であり、「をこ」とは異なる。「怒(おこ)る」は近世後期に成立したと考えられる比較的新しい言葉である。したがって、

応神 「おこだよ!。(。◟‸◞。✿)」
内侍 「おこなの?・。・?」
応神 「激おこぷんぷん丸!٩(๑`^´๑)۶」

というやりとりはたぶん無かった。
以上、ネタにマジレスカコワルイことを承知の記事である。失礼。


※1
『諺草』は『壒嚢鈔』の説を一笑に付した上で、仁徳紀に「于古(うこ)」という語があること、『釈日本紀』がこれに「尾籠也」と注することを指摘し、「それを音にとなへてびろうと云」と結論する。なお、『記』の「袁許(をこ)」と『紀』の「于古(うこ)」とは「コ」の甲乙にも違いがあるが、同義とされる(有坂秀世『上代音韻攷』)。
  1. 2014-01-13 Mon 03:31|
  2. 文学

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